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そばをより堪能するための豆知識「蕎麦の歴史をご紹介」

そばをより堪能するための豆知識「蕎麦の歴史をご紹介」

日本を代表する食文化の一つに「蕎麦」があります。

みなさんはいつも食べる「蕎麦」について歴史など考えたことはあるでしょうか。

例えば、

「そばがどうやって栽培されるのか」

「そばはいつ頃日本でよく食べられるようになったのか」

など、意外と知られていないことが多いと思います。

 

現在の「蕎麦」に至るまでに、実は長い歴史があります。

長い歴史を経て今の形を確立し、わたしたちの知る今のかたちになりました。

 

■そばが誕生したのはいつ頃?

 

そばは、高知県内にある9000年以上前の遺跡からそばの花粉が発見されています。

そのため、縄文時代初期頃にはすでにそばが栽培されていた可能性が高く、またさいたま市岩槻区にある3000年前の遺跡からもそばの種子が見つかっています。

日本の稲作が始まったのが、今から大体3000年くらい前の縄文時代と言われていますので、「米より前に蕎麦があった」ということです。

そばが食べ物として認識されるようになったのは奈良時代より前といわれています。

ただ、その当時は私たちの知る麺状の形ではなく、そばの粒をそのまま粥にして食べるというものでした。

また、美味しいから食されていたのではなく、飢饉に備えてのものでした。

そばは荒涼とした地でも育つことができます。また、種まき後4~5日で発芽、30~35日ごろに開花、70~80日ごろで収穫することができる成長の早い植物でもあります。

種まきから収穫までの期間が短いため、上手に行えば年に3回収穫することも可能な植物です。

なので、年に何度も収穫できるので飢饉を乗り越えるための非常食として栽培されました。

 

■そばが麺として食べられ始めたのはいつ頃?

 

そばの歴史をたどってみると、少なくとも16世紀ごろまではそばは麺の形ではありませんでした。

その時代の蕎麦屋では、そば粉を湯でこね、餅状にしたもの出されていました。この餅状のものを「そばがき」や「そばもち」と呼んでいたそうです。これは今も受け継がれメニューの定番としているそば屋も多いですね。

それでは、わたしたちの知る麺状の「そば」はいつ頃誕生したのでしょうか。

実はいまだにはっきりとわかってはいないのですが、もっとも古い資料として、長野県県木曽郡にある定勝寺というお寺で見つかった「定勝寺文書」があげられます。

大正2年に寺で行われた工事の際に寄贈された「そば切り」について書かれており「そば切り」の文字が乗っている最も古いものとなります。しかし、「そば切り」がいつどこで誰によってうみだされたものなのかについてはいまだに謎が多いのも事実です。

今後また新たな発見があるかもしれません。

 

だれがどのように生みだしたのかいまだに謎ではありますが、現在の麺の形状に近づいたのは江戸時代です。このころに「そば」を麺として食べるようになりました。

また、いままで「そば」と呼ばれていた「そばがき」や「そばもち」と区別するために、麺状のそばを「そば切り」と呼ぶようになりました。

しかし、江戸時代のそばは現在のようにゆでるのではなく蒸籠で蒸す方法をとっていました。この時代の「そば」はつなぎを使わない十割そばが主流でした。

十割そばは麺が切れやすいので、包丁で切ったそばを蒸籠に乗せて蒸し、そのままお客様に提供するのがあたりまえでした。

その後、時代の流れとともにそばには様々な手が加えられていき、小麦粉をつなぎとして使った二八そば(八割そば)が誕生し、七三、半々といった割合でもつくられました。

それに加えて、そば粉を十として小麦粉二の割合の外二というそばもあります。

 

そばに欠かせないそばつゆですが、江戸時代では味噌ベースのつゆが使われていました。

味噌だれと呼ばれるつゆで、味噌に水を加え煮詰め、布袋に入れてつるし、濾し出てきた液体をつゆとして使っていました。味噌だれの中にはお好みでからしやわさび、削り節や大根のすりおろした汁を入れて食べていたそうです。

 

そば切りが生まれ新しいそばのかたちが確立されたことにより、江戸時代中期ごろには数えきれないほどの蕎麦屋が立ち並びました。江戸暮らしをしていた信州の行商人である清江門という人物が「信州更科蕎麦処」という看板を江戸の麻布永坂町で掲げました。

この「更科そば」は、そばの実の中心の実を挽いた白い上質な粉でできていて、信州から直接仕入れたものを売り物にしました。

また、「藪そば」というそばも誕生しました。雑司ヶ谷鬼子母神門前や本郷団子坂で誕生したそばで、「藪そば」はそばの実の甘皮の部分をいれた薄緑色のそばです。

こうした新しいそばの誕生をきっかけに江戸には多くの蕎麦屋が生まれました。

 

■まとめ

 

そばの始まりは米より古く、当初飢饉に備える非常食が目的でした。今では日本が世界に誇る麺の食文化の一つですが、長い歴史の中でおかゆからそばもち、そば切りと様々な変化を経て今の麺のかたちが確立されました。

麺のかたちとなって、実はまだ450年ほどしかたっていません。しかし、麺になったそばは450年という歳月の中でも多彩な変化を遂げてきました。

そばは今後も多彩な変化を遂げていくのではないでしょうか。

 

そば信も現在3代目が受け継ぎ店を守っています。

受け継がれた技法をさらに進化させ、今後も良き変化が起こるよう日々邁進しております。

そんなそば信の蕎麦をぜひご堪能ください。

 

石臼焼手打ち生そば