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こんなに種類があった!日本全国の蕎麦を紹介します

日本各地には、地域の特性を生かした独特なお蕎麦がいっぱいあります。
代表的なものをご紹介いたします。
出雲蕎麦
日本三大蕎麦の一つ「出雲そば」。
出雲そばは、そばの色が黒っぽく香り高いことが特徴です。出雲そばは、そばの実の甘皮の部分まで引き込むので色味が黒っぽくなります。
出雲蕎麦は、松本城主であった松平直政が島根の松江に移り住んだ時に広めたものだといわれています。その際に、信州のそば切りの技術が持ち込まれ出雲で広まりました。
出雲蕎麦には大きく分けて「割子そば」と「釜揚げそば」の二つがあります。「割子そば」は冷たいそばで、「割子」と呼ばれる丸い器に盛ったそばにつゆをかけて食べます。割子は通常三段で一人前です。一段目のそばを食べ終わった後余っただしを二段目に移します。二段目のそばを食べ終わったら三段目のそばへとまたつゆをうつしながら食べます。
「釜揚げそば」はゆでたそばをそのままどんぶりへ入れ、そば湯とだしと薬味をのせたものです。
わんこそば
日本三大蕎麦の一つ「わんこそば」。岩手県盛岡市と花巻市を中心とする郷土料理です。
あたたかいそばつゆにくぐらせた一口大のそばをお椀に入れお客様に提供します。お客様が食べ終わるたびに給仕が次々とお椀にそばを入れ続け、お客様が満腹になりお椀のを閉じるまで繰り返し行われます。
「わんこそば」はなぜこのような食べ方をするようになったのでしょうか。いくつかの諸説があります。一つの説として、岩手に伝わる「そば振る舞い」が由来なのではないかという説があります。昔は、岩手は寒くて雪の多い土地柄のため米が十分に育ちませんでした。そのため、宴会の席などでお客様に十分にご飯をふるまうことができませんでした。しかし、そばの栽培は盛んでしたのでそばを提供するようになりました。しかし、大勢のお客様相手では一度にたくさんゆでることはできません。そこで生まれたのが、少量のそばを何回にも分けてお出しする方法でした。お客様がおなか一杯になるために生まれた食べ方が「わんこそば」なのです。
戸隠蕎麦
日本三大蕎麦の一つ「戸隠蕎麦」。
蕎麦の実の殻だけを取り除いた「挽ぐるみ」と呼ばれる粉を使用するのが特徴です。また、麺を伸ばす際に、一本の麺棒で丸く伸ばしていきます。
戸隠蕎麦には「ぼっち盛り」というものがあります。戸隠ではそば一束一口分の分量のことを「ぼっち」と呼びます。「5ぼっち」をもったものを「ぼっち盛り」と呼びます。ただし、地域や店舗によって「ぼっち」の数が異なることもあるようです。
なぜ、「ぼっち盛り」は基本的に「5ぼっち」なのでしょうか。一つの説として、戸隠にゆかりのある神様たちにちなんで5柱(5束)に盛られているようです。5柱は「九頭龍新」「天手力雄命」「天八意思兼命」「天表春命」「天細女命」を指しています。地域によっては、地蔵堂を加えたりするので、6束になることもあるようです。
「戸隠そば」の始まりは平安時代に山岳修験者の携帯食料だったものが伝わったとされています。修験道では「五穀断ち」という米、麦、粟、豆、黍などの五種類の供物を絶って行う修業があります。そばは五穀の中に含まれていないため、修験者が口にできる数少ない食べ物だったそうです。
板そば
「板そば」は山形県のそばです。
「板そば」は「ざる」ではなく、木で作られた長方形で浅い箱型の器に盛られます。通常の森そばで3~5人前の量になっているが、そばの好きな人であれば一人でも平らげてしまう人もいます。また、山形のそばは、蕎麦の実をすべて挽いた二八が基本のそばです。色が黒く、ふと切りで固く、噛めば噛むほど本来の味が出てきます。また、梅雨はだしで割った薄めの味付けで、そば全体につゆをつけて食べるのが正しい食べ方とされています。
「板そば」の由来として、昔農作物の共同作業や集会後に永井板や木箱に盛ったそばをふるまったのが由来といわれています。板そばはみんなで分け合って食べるので、一緒に食べた人との縁がこぼれませんように、仕事や人とのかかわりが板につきますようにと縁起のいい食べ物として振舞われていました。
茶そば
「茶そば」は京都のそばです。
「茶そば」は更科粉に京都宇治の抹茶を練りこむ、「かわりそば」の一種です。「変わりそば」とは江戸の中期ごろに考えられたそばで、つなぎに小麦粉以外の材料を加えます。山芋や卵、ゆずなどを入れて作ります。こうした創作のそばが生まれた理由として、江戸時代中期ごろには製粉技術が発達したことと、「湯ごね」という製麺技術が生み出されたことがあげられます。
富倉そば
「富倉そば」は、長野県飯山市富倉に伝わるそばです。ほかのつなぎを使用せず、そば粉とオヤマボクチだけで作るので、十割そばにも通じる香りの良さやのど越しの良さが特徴です。つなぎに使用する「オヤマボクチ」は、アザミの仲間で、とげのあるきれいな花を咲かせます。そばのつなぎとして使うには、「オヤマボクチ」の葉を収穫した後、天日干しにして葉脈を取り除き、煮る、洗う、煮る、洗う、絞る、ほぐす、乾燥という工程を踏んでようやくつなぎとして使えるようになります。オヤマボクチ一キログラムに対してとれるつなぎの量は4~5グラム程度しか取れません。時間と手間をかけて作られたのが富倉そばなのです。
へぎそば
「へぎそば」とは新潟県魚沼発祥のおそばです。つなぎに海藻「布海苔」を使います。つなぎに「布海苔」を使っているので、普通のそばに比べてツルツルとしたのど越しが特徴です。「へぎそば」は「へぎ」と呼ばれる四角い木の器に一口大にたばねて、盛りつけられます。「へぎ」には3~4人前のそばを盛り付けて、みんなで囲んで食べるのが一般的です。また、「へぎそば」は盛り付け方も特徴的です。織物用の絹糸を束ねた「おかぜ(かせ繰り)」とよく似た形をしています。着物づくりが盛んな街だったこともあり、普段の生活で見慣れた「おかぜ(かせ繰り)」の形に結び付き、このような盛り付けになったそうです。
韃靼そば
「韃靼そば」は独特な強い苦みがあるため「苦そば」とも呼ばれています。韃靼そばは中国ロシア、ネパールなどが主な産地となっています。現在では、北陸地方や北海道でも栽培されています。また、ポリフェノールの一種ルチンが豊富に含まれていることで有名なそばです。「韃靼そば」の「韃靼」とは一体どんな意味なのでしょうか。「韃靼」とはモンゴルの遊牧民である「タタール人」に関係があります。韃靼そばの原料となった植物を「タータクリム」とドイツの植物学者ギルトネル氏は命名しました。この「タータクリム」がモンゴルの遊牧民「タタール人」を意味しており、中国では「タタール人」のことを「だったん」と呼んでいたことから、「韃靼そば」という名前が付いたといわれています。
更科蕎麦
「更科蕎麦」は「一番粉」と呼ばれる白い色の粉を原料として作られるので、普通のそばに比べて麺が白いことが特徴です。蕎麦の実は、外皮に近いほど色と香りが濃く、たんぱく質を多く含みます。反対に蕎麦の実の中心に近いほど色が白くそばの香りは弱くなりたんぱく質の代わりにでんぷんを多く含みます。更科蕎麦は、蕎麦の実の中心を使用しているため、そばの香りは少なく感じますが、ほんのりとした甘みと特有の風味が感じられます。更科蕎麦の発祥は、1789年に当時行商人をしていた清右衛門が、「信州更科蕎麦処 布屋太兵衛」を始めたのがきっかけです。旅先である江戸麻布上屋敷の保科家領主である保科兵部少輔(後に保科正賢)にそば打ちの才能を見出されたのがきっかけになったようです。更科蕎麦の「更科」は、そばの産地である信州の地名「更級」と、保科家の「科」を組み合わせて作られたものです。
藪そば
「藪そば」は蕎麦の実の殻を残した挽ぐるみを使います。麺の色は黒っぽく、そばの豊かな甘みと淡い香りが特徴です。藪そばはつゆに麺をちょっとだけつけて食べる江戸風の食べ方で、麺は細切りでそばの皮を入れているので緑が買っているのが特徴です。つゆも、塩辛く醤油の味が強いです。「藪そば」の「藪」の由来はいくつかありますが、「蘆屋」という蕎麦屋を千駄木の団子坂の権現山に山口伝次郎が開きました。だんだんお店が人気になるとともに、周りに竹藪が多かったことから「蘆屋」は「藪そば」と通称されるようになったといわれています。